学校をつくろう

ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクトとは


サマ村学校建設
2006年、野口はマナスル峰を訪れました。マナスル峰とはヒマラヤにそびえる8000メートル峰の1つで、1956年に日本の登山隊によって世界で初めて登頂を成し遂げた山のことです。麓のサマ村の村人たちは、今でもマナスルを「ジャパニーズマウンテン」と呼び、日本の登山隊を温かく迎えてくれます。このようにマナスル峰は数あるヒマラヤの山々の中でも、特に日本人の登山家にとって縁の深い山なのです。

清掃活動を共に行うなど村人と交流を深めていき、野口の中で「日本人として恩返しができないものか」との思いが募り、2006年に「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」を開始しました。まずは遠方から通う子どもたちのために、学校寮の建設を行い、2010年8月に完成。今後は、食堂を含む多目的ホールや図書館の建設をすすめつつ、教育プログラムの向上と優れた教師の招聘などソフト面の充実を図っていきます。












「ジャパニーズマウンテン」マナスルの麓、サマ村
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これは、従来「マナスル基金」の名称で呼んでいたサマ村の教育支援プロジェクトのことです。ヒマラヤにそびえる8000メートル峰のひとつにマナスル峰があります。ヒマラヤでは八番目に高い山、世界的にはそれほど知名度が高くないのですが、日本人にはなじみ深い山です。なぜなら、1956年に初登頂を成し遂げたのが日本人だったから。日本隊によるマナスル初登頂のニュースに、当時の日本はとても湧いたといいます。

以来、マナスルに登ろうという日本人は多く、地元ではマナスルを「ジャパニーズマウンテン」と呼び、日本の登山隊を温かく迎えてくれます。数あるヒマラヤ峰の中でもマナスルはとりわけ日本に縁の深い山なのです。

そのマナスルの麓に、サマ村(サマ・ガオン)があります。サマ村はネパールの中でもとくに貧しい村です。雪深い村には産業もなく、厳しい環境の中で、人々はじつに素朴な自給自足の生活をしています。

◆夢を知らない子どもたち

サマ村での清掃活動

サマ村での清掃活動


 2006年春、初登頂50周年を記念し、これまで多くの日本人登山家がお世話になってきた山に恩返しをしたいと考えた野口隊は、マナスル峰の清掃登山をおこないました。
 5月、清掃登山を終えて疲労困憊になってサマ村まで下山してくると、村ではあちこちに手作りの日の丸を飾って迎えてくれました。信仰深い村人たちは、自分たちが「神の山」と仰ぐ山をきれいにしてきたことを伝え聞いていて、ねぎらってくれたのです。
 村に滞在し、村人や子どもたちと交流するうちに、野口の胸には「この村に学校をつくりたい」という思いが熱くたぎるようになりました。
 
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当時、村にあった学校は粗末な掘っ立て小屋同然の代物で、暗く寒風が吹き抜けるなか、教科書も筆記具も何もない状態で、身を寄せ合うように勉強していました。それでも学校に行ける子はまだましで、学校に通わせてもらえない子もたくさんいます。教育に価値を感じていないため、勉強よりも家の仕事を優先させる村人が多かったのです。

子どもたちに「将来の夢は何?」と聞いても、この村で一生を終えることしか知らない子どもたちには、「夢」というのが何のことなのかわかりません。きょとんとするばかりでした。

この子どもたちに夢を持つということの素晴らしさを知ってほしい。教育を受けられるようにしてやりたい――。
こうして、学校建設プロジェクトがスタートしました。

◆今後はソフトの充実へ

秋田県立大学の学生たち

秋田県立大学の学生たち


石運びから木材の調達から、村人が一生懸命汗を流してくれて、2010年、学校の本棟ができ、次に寮棟ができました。寮があれば、遠方で通えない子どもたちも受け入れることができます。

そして支援の輪は大きな広がりを見せます。秋田県立大学の二村宗男助教授、そして研究室の学生たちがサマ村入りしてくださり、ソーラーシステムを設置。おかげで寮の各部屋が明るくなりました。さらに彼らが日本からランドセルを20個ほど集めてくださり、寄付してくださいました。

ネパールにはランドセルがないため、初めて見るランドセルに村の子どもたちは目をキラキラさせながら喜んでいました。その後、このエピソードを耳にされた長野県小諸市の協力で、さらに100個のランドセルを寄付することができました。

また野口と親しいミュージシャンの藤巻亮太さんが、日本の小学校で習っているピアニカを、マナスルにも届けようと100台、贈ってくれました。マナスル基金の寄付以外にも、さまざまなかたちで日本から支援していただいているのです。そして2014年、食堂・多目的ルームができました。

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株式会社ノエビアからは、2009年より、毎年マナスル基金への寄付をいただいています。

 次は図書館です。サマ村の子どもたちは本を読んだことがありません。ネパール語と英語の本を揃え、子どもたちだけでなく、村人全員に開放する図書館をつくる予定です。
 学校の現在の課題は、先生不足。公務員の先生が3人いますが、足りないので民間レベルで、外国人ボランティアの先生を増やせないかと検討しています。
 なぜ民間レベルの人を求めているかというと、子どもたちに勉強を教えるだけではなく、大人たちのために、ものづくりやサービス提供の職業訓練ができるようにしたいからです。
 なぜサマ村がこれほど貧しいかといえば、産業がないからです。エベレスト街道のように、トレッキング客のための宿泊施設をやるとか、手づくり製品を販売するといった技術を身につけられるようになれば、村人たちはもう少し潤うことができます。
 ですから、そういうスキルを教えることもできる先生が欲しいのです。

◆夢をつなぎたい
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サマ村でやっていることのお手本は、尊敬する登山家、エドモンド・ヒラリー卿に源があります。1953年にエベレスト初登頂に成功されたヒラリー氏は、その後、シェルパの生活のために「ヒマラヤ基金」をつくり、さまざまな貢献活動を実践しました。

エベレスト山麓のクムジュン村に橋を架け、学校や診療所をつくり、シェルパの生活改善を支え、彼らに自然環境の大切さを啓蒙する活動を続けたのです。ヒラリー氏によって、シェルパの生活環境はめざましく向上しました。

ネパールで協力をしてくれるシェルパの中には、ヒラリー氏のつくったクムジュン・スクールで教育の基礎を受けた人が大勢います。エベレストの清掃活動や姉妹山提携でお世話になっているネパール山岳協会のアンツェリン・シェルパさんもそんなひとりです。なかには、医師、看護師、パイロット、弁護士、教師、経営者になった人もいます。彼らが夢をかなえたことが、さらに次代の子どもたちに夢と希望を抱かせるようになったのです。

2014年にサマ村の学校を訪問したとき、「将来の夢は何?」と子どもたちに質問してみました。手を上げて答えてくれた子がいました。

「パイロットになって、病気の人が出たら、乗せて病院のあるところに運びたい」
「医者になって病気やケガの人を治せるようになりたい」

パイロットとは、ヘリの操縦士のことなのかもしれません。しかし、「夢」という言葉を子どもたちは知りはじめました。現実をもっとよくするためのものとして、いまと将来をつなぐものとして、少しずつ認識しはじめたのです。

ヒラリー卿がネパールで拓いた道をなぞりながら、ジャパニーズマウンテンの麓でコツコツと活動を続けていきます。