森をつくろう

ヒマラヤ サマ村森林再生の打ち合わせをしました


 この春からマナスル山麓のサマ村にて森林生成プロジェクトをスタートしましたが、カトマンズでは現場監督のアン・タルケ・シェルパと打ち合わせを行いました。タルケさんはヒラリー財団のスタッフとして約30年間、クンブ地方(エベレスト地域)にて植林活動を行ってきた大ベテランです。今年からはNPO法人ピークエイドの現地スタッフ、また現場監督としてサマ村に滞在してもらいます。彼ほどの大ベテランが使命感を抱いて頂ければ大きな大きな力となります。アディカリ・ミンマの親戚でもあり、彼の紹介で繋がったご縁ですが、このご縁は間違いなく宝物となるでしょう。ミンマに感謝です。

 3600Mのサマ村はかつて原生林に覆われていたそうです。しかし、木材をチベットに輸出するようになり、原生林は無制限に伐採され、

サマ村ではゴンパ(寺院)周辺の周辺を除いてはほとんど立木は見あたらなくなりました。
 木材という資源の枯渇から資源を巡って隣接する村々の争いにも発展。また、急斜面な地形では森林の伐採によって雨による表土の流出、地すべり等の被害を誘発します。ヒマラヤでは雨期になると至る所で土砂崩れによる被害を毎年のように繰り返しているのは一つに森林伐採による影響だそうです
 そしてヒマラヤは昨年の秋から大雪の被害に悩まされています。30~50年ぶりの大雪とも言われていますが、実は植林活動の最も重要な種の採取にはいいのだと。タルケさんが「ケン、冬から春にかけて雪が沢山、降る年には沢山の種が取れるんだ。今年はたくさん取れそうだ」と。
3600Mという高所での植林活動。決して簡単ではありませんが、専門家の方々と連携させて頂きながらこの新たな活動も一歩一歩進めていきたい。

2015年1月8日産経新聞に掲載された野口健連載、直球&曲球「日本の技術でヒマラヤの森を再生へ」です。こちらも併せてお読みください。

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「日本の技術でヒマラヤの森を再生へ」
2006年、マナスル峰を訪れた。マナスルとはヒマラヤにそびえる8000メートル峰の一つで、1956年に日本の登山隊によって世界で初めて登頂を成し遂げた山。麓のサマ村の村人たちは、今でもマナスルを「ジャパニーズマウンテン」と呼び、日本の登山隊を温かく迎えてくれる。このようにマナスル峰は数あるヒマラヤの山々の中でも、特に日本人の登山家にとって縁の深い山。

 清掃活動を共に行うなど村人と交流を深めていく中で、日本人として恩返しができないものか、との思いが募り、06年に「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」を開始。まずは遠方から通う子供たちのために学校寮の建設を行い、10年8月に完成。今後は、食堂を含む多目的ホールや図書館の建設を進めつつ、教育プログラムの向上と優れた教師の招聘(しょうへい)などソフト面の充実を図っていく。このプロジェクトは何とか一段落ついた感じだ。

 だから、今年はもう一つの大きな挑戦に取り組みたい。それは「ヒマラヤ森林再生プロジェクト」だ。仕事柄、様々(さまざま)な国を訪れるが、「木を切る文化」はあってもなかなか「植える文化」を持つ国はない。結果、土砂崩れが起き、人が亡くなることも。サマ村でも村人が生活のために木を切り、森林が破壊されたままの状態だ。

この時、僕の頭の中にあったのが明治神宮の森。あの極めて原生林的な森は実は50年後、100年後、150年後といった壮大かつ緻密な計画のもとにつくられた人工林だ。人は自然を破壊することもできるけど、自然をつくることもできる、ということ。

 実際に可能性はあるのか、森づくりの専門家の方々に相談を重ねた結果、住友林業の専門家の方々がサマ村に現地調査に赴いてくれた。調査によれば、サマ村での森林再生は技術的に可能とのこと。日本の技術で、ヒマラヤの森、しかもジャパニーズマウンテンの麓の森林を再生する。このことにロマンと希望を感じるのは僕だけじゃないはず。

 今年は様々な方々と連携して、このプロジェクトを実現させたい。
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