谷口けい冒険基金

第1回谷口けい冒険基金「渡邊直子」インタビュー


ヒマラヤに挑戦を続ける看護師・渡邊直子さん

〜カンチェンジュンガ、ナンガパルパット登頂への挑戦〜

文・須藤ナオミ

 普段は看護師として働きながら、ヒマラヤの高みにチャレンジを続ける女性がいる。渡邊直子さん35歳だ。渡邊さんは山岳会などの団体に所属することなく、これまでにチョー・オユー(8,201m)、エベレスト(8,848m)、マカルー(8,463m)、マナスル(8,163m)に登頂。今回は<谷口けい冒険基金>からの助成を受け、4月にカンチェンジュンガ(8,586m)、6月にナンガパルパット(8,126m)に連続で挑戦した。

 SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)全盛のいまにあって、彼女の経歴や挑戦を知る人は少ない。人知れずヒマラヤの頂を目指す渡邊直子さんとは、いったいどんな女性なのだろうか。そして今年の挑戦はいかに…。

 

渡邊直子(わたなべ・なおこ)

1981年福岡県生まれ。小学生のときにNPO法人遊び塾ありギリス(※現在は解散)に参加し、さまざまな野外活動を通じ登山経験もスタート。大学時代はスタッフとしても同法人に携わるなど活動を続け、同時に仲間と海外の高所登山にもチャレンジをはじめる。2000年のマルディヒマール登頂を皮切りに数年おきにヒマラヤの高山に登頂、8000m峰はすでに4座達成。2004年長崎大学水産学部水産学科卒業(2003年韓国済州大学交換留学)、2009年日本赤十字豊田看護大学看護学部看護学科卒業。大学卒業直後に就職のため上京、看護師として働くかたわらヒマラヤ遠征を繰り返している。

おもな登山歴

2000年 マルディヒマール(5,587m)登頂

2002年 アイランド・ピーク(6,160m)登頂

2006年 チョー・オユー(8,210m)登頂

2008年 メラ・ピーク(6,470m)登頂

2011年 エベレスト8700mまで

2013年 エベレスト(8,848m)登頂

2014年 マカルー(8,463m)登頂 

2015年 アンナプルナ1 7900mまで

2016年 アンナプルナ1 7500mまで

2016年 マナスル(8,163m)登頂  

幼少期の野外活動からはじまった登山の経験

—すでに8,000m峰(エベレスト含む)を4座も登頂されていますね。登山はいつごろからはじめられたのですか。

子どもの頃に冒険や登山といった野外活動をするNPO法人 遊び塾ありギリスという団体(※現在は解散)があって、小学4年の時から参加しました。それまでも親と一緒に山には登っていましたが、私が一人っ子だった為、将来頼れる大人や兄妹のような存在を作ってほしいとの母親の想いから勧められ、参加することにしました。

—登山もその野外活動の一環ではじめられたのですね。野外活動体験は具体的にどのようなものだったのですか。

いろいろなことにチャレンジさせてくれる面白い団体だったので、小4から雪山にも行っていました。北アルプスに3週間とか。登山だけでなく、中国の無人島でキャンプだとか、モンゴルの草原を歩く旅だとか…。 

—海外にも! 活動の場は国内とは限らないのですね。

はい。日本国内もいろいろと行きました。その中国の青島(チンタオ)での3週間のキャンプは、最初に参加した活動だったので思い出深いです。日本からは船で向かうんです。1班が15人、15班もある大所帯で、現地の子も参加していて。無人島で、そこらへんにある木や段ボールを使って寝床から自分の手で設えるという。サバイバル的な感じで楽しかったですね。

—かなりの大所帯ですね。ご兄弟はいらっしゃらないとお伺いしましたが、人見知りもなく?

はじめは引っ込み思案であったと思いますが、だんだん慣れていきましたね。ありギリスでは、最初は参加者として、大学のときにはスタッフとして関わったりもしていました。

「わたしにしかできなことって、これかも!」高所登山に目覚める

—そこでの経験がいまのベースになっているんですね。登山に特化するようになったきっかけはなにかあったのですか。

いろいろ経験した野外活動のなかでも、登山は自分に向いていたようです。とくに高所が体質に合っているみたいで、高所登山が楽しいと思うようになったんです。体が大きな外国人が、だんだんとわたしよりもペースが遅くなっていったりして、「わたしにしかできないことって、これ(高所登山)なんじゃないか」と。

—高所にお強い体質なのですね。

でも、登ることだけが楽しいわけではなくて。高所に行くと長い期間、同じ場所でキャンプするのでそれが楽しいです。

—幼少期に仲間とキャンプされていた経験が、きっと影響しているんですね。

そうですね。みんなと一緒に生活していると、いままで気がつかなかった自分を認識したり、こんな考え方があったのかと自分自身に驚いたり。それが面白いんです。だから日帰り登山や数日で終わってしまう登山がどうも短すぎて…。

—なるほど。登山を取り巻く環境そのものにも魅力を感じているんですね。

ありギリスではいろいろな人に出会いました。結構変わった人たちも多かったと思います。日本人はとくに周囲と足並み揃えてなにかをやるとか、そういう意識が強いですけれど、必ずしもそうではないと教えてもらいました。自らの道を進んでいいんだ!やりたいことを自由にやっていこう!と。

—それで楽しい高所登山にハマッている、というわけですね。挑戦する山はどのように決めているんですか。

遠征で知り合った海外の友人たちから、次に行く山の話しを聞いたりしていました。インターネットで調べることはほとんどないですね。友人や知り合いなどから情報を得ています。

—海外の生の情報ですね。そうして今年のカンチェンジュンガとナンガパルパットを決めたのですか。

はい。6月のナンガパルパット行きは先に決めていました。中国人の友人が行くと聞いて、わたしも行くことにしました。カンチェンジュンガは、今年はエベレスト、マカルー、マナスルで一緒だったシンガポール人の友人が参加することと、また、なかなか公募も集まりにくいところですが、他にも参加者がいたのでこれも好機だと思いました。

登頂は叶わず…。でもチャンレンジは終わらない。

—4月のカンチェンジュンガはどのような予定でしたか。

4月7日に日本を出発し、16日にベースキャンプに到着しました。3度ほど高度順応し、5月16日にアタックをかけましたが、ロープが足りなくなり登頂はできませんでした。

—「ロープが足りない」というのは具体的にはどのような状況だったのですか。

高所登山では複数の隊のシェルパたちが事前に相談して、交互にロープを張るなどルート工作を協力しています。他にもいくつか隊がありました。わたしたちの隊は筆頭ではなく、他に先行する隊がいたのですが、なかなか出発しませんでした。仕方なくわたしたちの隊が先に出発したのですが、結局ロープが足りなくなってしまいました。わたし以外の参加者はスポンサーだけで生計を立てているような人たちばかりでしたので、とても気の毒でした。

—それは残念でした…。天候や体調が問題ないとなると余計に悔しいですね。

1回目のアタックからC4(キャンプ4)に戻ってきた次の日、ベースキャンプには戻らずにもう1度アタックしようとネパール人女性と話しをしていました。でも若いシェルパのひとりが体調を崩して動けなくなり、アタックどころではなくなってしまいました。結局、その若いシェルパをベースキャンプまで下ろさなくてはならない状況になってしまったんです。

—カンチェンジュンガはそれほど登山者が多く集まる山ではないと思うので、物や人、体制を充実させるのはなかなか難しそうですね。

ああ、もったいないなぁとは思いましたが、どうにもならないことでしたので受け止めるように努めました。わたしは今年登らないと後がないといった状況ではなかったので、来年でもまたチャンスはある、と。一度のトライでは登れないかもしれない…とも思っていましたし。

—前向きですね。そして、帰国されてすぐナンガパルパットへ行かれました。気持ちは切り替えられましたか。

すごく楽しみにしていました。気持ちも切り替えられましたし、次は絶対行ける! と。6月9日に日本を発ちました。イスラマバードからバスで移動し、1日かけてチラスへ。14日からトレッキングを開始して、15日にベースキャンプに着きました。隊はわたしと中国人の友人の他に韓国人登山家とアルパインスタイルの人たちが3人いました。

—アタックまではどのような予定でしたか。

中国人の友人はローツェに登ってきていて、わたしもカンチェンジュンガに行った後でしたので、すぐにアタックとなりました。ただ、隊のなかで相性の悪いメンバーがいたりして穏やかではなかったです。わたしはどのメンバーとも仲良くやっていましたが、少し不穏な空気がありました。19日にC1に1泊、21日にC2へ、23日にC3へ。24日に一度アタックしましたが、C3からC4へ行きかけましたが結局ロープが足りなくて。

—そうですか…。またしても。

先行した隊がフィックスロープを張ることになっていたようですが、行ってみるとなかったという。C4の途中で断念して一度戻り、30日に再アタックしました。

そして7月4日そのときは韓国人と私、シェルパ2人の4人でした。しかし強風で雪が深く、わたしは凍傷の危険を感じて断念することに。アルパインスタイルでアタックをかけるのは難しいとも思いました。中国人の友人とそのシェルパ3人がその後に上がってくる予定だったので、それを待っての再アタックを提案し、C4で待つことになりました。

ただ、予定した日になってもなかなか上がって来ず、3、4日C4で待ちました。食料もガスも底を尽きかけた状態でとても厳しかったです。6日にようやく友人が上がってきて、7日アタックできると思ったのですが…。

—アタック自体が叶わなかった?

やっと行けると思っていたのですが、さまざまな要因が重なり、わたしはC4に留まることになりました。でも体調は悪くなかったので、仕方が無いと受け止めようと思いました。次のチャンスにかけようと。実際は難しい山と聞いていたので、そこをクリアできたことは自信になっています。ある程度自分では収穫もありました。正直いまは無ですが、また行きたいと思ったときのために仕事の日々ですね。

—ありがとうございました!

 渡邊さんは現地のツアー会社が主催する隊に参加して高所に挑んでいる。自分の隊ではないだけに、コントロールはきかない。ナンガパルパットもカンチェンジュンガも、ともにあまり人が行かない山だ。本来であれば物資やシェルパの充実は欠かせない。しかし、昨今はツアーの本数をこなすために不慣れなシェルパが雇用されていることも事実ある。そうしたヒマラヤの高所登山の現状に、今回渡邊さんは残念ながら巻き込まれてしまったのではないだろうか。

 ただ、そうした状況にあっても渡邊さんは要所要所では自ら判断し、選択している。今回の挑戦は結果から見ればとても残念なものではあるが、実際に行って得た自分なりの成果を彼女は噛みしめているようでもあった。「行きたくなったときのために働いてお金を貯めます」渡邊さんの「行きたくなったとき」が冒険のはじまり。ぜひまたヒマラヤを目指し頑張って欲しい。

 

谷口けい冒険基金公式サイト
http://keifund.net/